2011年8月初版から早10年、おかげさまで2021年最後のかわら版126号を迎えることができました。
恒例ですが、今年YKTかわら版で反響のあった記事を集めてみました。
今年も新型コロナウイルスに振り回されましたが、かわら版の一年を振り返るとともに、皆様にとって来年が良い一年になりますように。
~ 「バケツを利用した徹底した水際対策」 ~
中国に赴任していますが、昨年旧正月に日本に一時帰国した後、新型コロナウイルスの影響で、中国に戻るのが難しくなってしまいました。8ヶ月間日本に滞在した後、日本から中国への移動が許されるようになり、2週間の隔離生活を余儀なくされますが、上海に出国しました。
上海の空港でPCR検査を受けた後に、改めて隔離について説明がありました。まずは、1週間施設での隔離と1週間の自宅待機と2週間の隔離が必要です。
施設の部屋には、幸福で楽しいと書かれたラベルが貼ってある緑のバケツと消毒剤がありました。
この緑のバケツは徹底した水際対策の一躍を担っています。
施設では、まずバケツに用を足し、そこに消毒剤を入れ、30分放置して消毒した後にトイレに流します。下水道も新型コロナ汚染から守るという徹底ぶりです。
主要先進国が新型コロナの影響でマイナス成長に陥る中、中国だけはプラス成長を遂げました。バケツには驚きましたが、ここまで徹底できるからこそ、感染数も抑えられているのでしょう。
~ 「7月のドイツ出張レポート」 ~
今年の7月にドイツに出張に行きました。ドイツへの訪問は、入国前72時間以内のPCR検査が求められます。2~3万円程度の費用がかかりますが、英語の陰性証明書が必要となり、どこでも準備できるものではないため、事前に病院やクリニックに確認する必要があります。チェックインカウンターや入国検査で、陰性証明の提示が求められることもあるため、スーツケースに入れないで、手荷物に入れて出発しました。
ドイツの交通機関では、医療用マスクの着用が義務化されており、利用したルフトハンザ航空も同様でした。不織布マスクをしていたので、大丈夫でしたが、布マスクをしていた人には、機内で医療用マスクが手渡されていました。
ドイツの入国検査では陰性証明書の提示を求められましたが、フランクフルトからの国内線の移動では、確認は求められませんでした。
今までドイツのタクシーは、助手席に乗ることが一般的でしたが、今回の出張中は、感染防止のため後部座席に座るように言われました。アフターコロナの風景の一つだと感じました。
滞在する州によって異なりますが、フランクフルトのホテルでは、チェックイン時に陰性証明が求められました。フロントで近くにあるシュネルテストという簡易検査所で抗原検査をし、陰性証明書をもらってくるように言われました。CORONATEST.DEというサイトから検査予約をすることができます。30分程度並んで順番を待ち、検査結果は30分程度で登録したメールアドレスに結果が送付されます。海外渡航者の私は25€(約3000円)の費用がかかりましたが、ドイツに住んでいる居住者であれば無料です。簡易検査は、無症状感染者からの広がる感染防止に役立っているようで、レストランでも提示が求められます。
日本に帰国の際にも、出国前72時間以内に実施したPCR検査の陰性証明書が必要です。事前にスマートフォンにCENTOGENEというアプリをインストールし、日本へ入国を選ぶと、ネット決済で89€(約1万円)で陰性証明書の発行までしてくれます。検査結果は24時間以内に登録したメールアドレス宛に届きます。日本入国のためには、厚生労働省指定のフォーマットに、医師による記載が必要なので、書類の事前準備をしておく必要がありました。オリンピック期間ということもあり、日本に到着すると、まずは五輪関係者から飛行機を降りると説明がありました。飛行機着陸から入国検査を通るまで3時間ほどかかり、空港内をかなり歩きました。長いフライトの後だったので、とても疲れました。
隔離先の移動は公共交通機関を使用することはできません。品川方面へは1時間に1本シャトルバスが無料で出ているのでそちらを利用しました。14日間の待機期間はホテルで過ごしましたが、入国者健康居所確認アプリ(MySOS)を通して行動を監視されました。簡単な質問に答える健康状態報告、1日に数回届く位置情報の報告、ランダムなビデオ通話の応答が求められます。報告義務を怠ったたり、待機場所から外出をすると厚生労働省のHPに氏名が公表されることもあるようです。
ドイツ滞在が1週間の出張でも、日本入国には、2週間の隔離が必要です。これまで感じたことがない長い2週間のホテル滞在となりました。
コロナ前のように気軽に海外に出張に行ける日が来ることを願うばかりです。
~ 「ドイツはB、M、A、Jの豊富な選択肢」 ~
ドイツで暮らしていますが、先日新型コロナウイルスのワクチンを接種しました。
近々有料になるという噂や、すでに一部のEUの国ではワクチンパスポートがないと入国できないという事情があり、接種をすることにしました。
インターネットのサイトから予約をします。〇が付いている日時で、1回目と2回目の予約をします。会場は大きな病院や展示会場、特設会場があり、接種したい場所を選んで電話番号とメールアドレスを登録します。予約がなかなか取れない日本とは違い、ドイツでは予約枠の空きが十分にあり、当日2時間後の予約でも可能な状況です。予約が完了するとQRコード付きのメールが届きます。
シュトゥットガルト郊外のロベルトボッシュ病院を選び、案内に従って進むと、総合受付から少し離れた建屋がワクチンセンターになっていました。入口で検温した後、矢印の案内に従って進むと、10部屋ほどのカーテン付きの小さな個別ブース式の受付があり、どのワクチンがいいか選ぶように言われました。予約時点ではビオンテック(ファイザー)となっていましたが、現地でも選ぶことができました。ビオンテック、モデルナ、アストラゼネカ、ジョンソンエンドジョンソンがあり、一度で済むジョンソンエンドジョンソンにしようか悩みましたが、ドイツ企業のビオンテックを選択しました。アレルギーやこれまでの感染の経験、基礎疾患などについて記載された問診票にサインして先に進むと、再度問診票の内容を質問されました。特に、アレルギーがないか、今回が1度目の接種かどうかは注意深く聞かれました。B、M、A、Jと書かれたブースがあり、ビオンテックを選択した私はBの部屋の前で待つように言われます。待つと言っても椅子に座るやいなや、看護師の女性に呼ばれてすぐに部屋の中に入りました。
注射が嫌いな私はドキドキしながら上着を脱いで袖をまくって目を背けていましたが、針が当たった感覚すらほぼなく一瞬で接種は終わりました。
15分ほど大きな部屋で待つよう言われました。大きなプロジェクターでは東京オリンピックの中継が映し出されていました。15分の待機時間を合わせても、合計30分程度で接種は完了です。
ドイツはワクチン数にも余裕があり、ワクチンは4種類から選ぶことができます。室内ではマスクをする必要がありますが、それ以外はコロナ前とあまり変わらない状況となってきています。地方の小規模なお祭りは開催され始め、街の広場では週末に屋台が並んでいます。8月頭には、性的マイノリティLGBTの大規模なデモがあり、街中ではすごい数の人が練り歩いていました。規則ではマスクを付けることとなっていますが、街中ではマスクをしている人は稀です。なかなか明るい兆しがみえてこない日本について、ドイツ政府は8月からハイリスク地域に指定しました。これまでのように観光での入国ができなくなり、ワクチン証明がない場合の自主隔離、入国にあたって、受入れ先企業などの招待状が必要になりました。
~ 「どうやって食べるのよ!!」 ~
ドイツでも新型コロナウイルスと共生する生活が続いています。
以前はドイツでマスクを着用していると、よほどの重病なのかと白い目でじろじろと見られましたが、今ではマスク着用が習慣化し、見慣れた景色になりました。
しばらく前に近所のチャイナレストランで見かけたマスク着用のやり取りです。
このレストランは、ビュッフェ形式なので、お店側は食事が並ぶビュッフェゾーンとお客の接触を避ける試みをしていました。それでもビュッフェですので、お客は食べたいものを自分で皿に盛りつけていました。
お店側は、食事が並ぶビュッフェゾーンを一方通行にし、席との間に仕切りを作っていました。ビュッフェゾーンに入る度にビニール手袋を渡され、マスクをしろと言われ、さらに手袋している手にアルコールを吹きかけてくる徹底ぶりでした。
少し抵抗を感じましたが、感染予防なので受け入れるしかないと思っていると、隣にいたご婦人がマスク着用に対して「Wie essen!!」(どうやって食べるのよ!!)と店員にツッコミを入れていたので、思わず微笑んでしまいました。
~ 「どうやって食べるのよ!!ということもなくなりました」 ~
最近ドイツのコロナ新規感染者は右肩下がりで、1日千人を下回り、飲食店も営業を再開しました。先日、久しぶりに来客があり外食をしました。夕食に会社の最寄りの中華レストラン(ビュッフェ)に行くと、簡易テスト(シュネルテスト)の陰性証明を求められました。持っていないので近くで検査できるところがあるかと聞くと裏にあるレストランの駐車場で予約なしで受けられるとのことでした。
そこには検査車両が止まっていて、「無料」、「予約不要」などと書かれていました。車両の周りには10人くらいスマホを片手に立っている人がいました。
中のお兄さんに検査してほしいと言うと、QRコードをスキャンして手順に従って登録するように言われました。
スキャンする検査場の一覧から自分が今いる場所の会場を選択、後は名前や住所、電話番号、メールアドレスなどを入力すると、QRコードのついたメールがスマホに届きます。
それをお兄さんがスキャンし、簡易検査をしてくれました。方法はいつもの鼻腔の粘膜を用いたタイプです。
検査はものの10秒ほどで終わり、20分以内に結果がメールで届くと言われました。
車の周りでスマホを片手に立っている人は、簡易検査の結果を待っていたようです。
5分ほどで結果がメールで届きましたが、同行者は20分経ってもメールが来ないのでお兄さんに聞くと、SPAMにはいっているかもと言われ、確認したところSPAMに届いていました。実際は10分ほどで結果が来ていました。結果は二人とも陰性。
メールに添付されている陰性証明を店員に見せ、24時間以内の結果であるか確認後に入店が許可されます。
席は半分くらい埋まっていましたが、続々と入ってくる人も見られましたので、それなりに繁盛してそうでした。座席には仕切りがなく、ビュッフェでのルールも以前より緩和されていました。お箸などと一緒に手袋が1枚もらえるので、食事をとりに行くときはマスク着用でトングを触る利き手のみ手袋をします。進行方向の指定もチェックしている人もいませんでした。以前は、都度マスクをするように言われ、さらに手袋している手にアルコールを吹きかけてくる徹底ぶりでした。マスク着用に対して「Wie essen!!」(どうやって食べるのよ!!)と店員にツッコミを入れていたご婦人も、今回はいませんでした。
ドイツでは、 少しずつですが、以前の生活に戻りつつあります。
~ 戦渦の機械輸送の切り札 ~
おかげさまで、当社は2月10日に97歳を迎えることができました。今月は、久しぶりにYKTの歴史を振り返ります。
戦争の気運が高まる中、1939年9月にドイツがポーランドに侵攻したことで、第2次世界大戦の火蓋が切られました。山本商会は機械の輸送が可能なうちに、出来るだけ多くの機械を購入し輸入することに全力を注ぎましたが、やがて制海権は連合軍に抑えられ、船舶による海上輸送が困難になりました。シベリア鉄道経由でドイツ機械の輸送をしましたが、1941 年6 月に独ソ戦が開始されると工作機械の輸送は実質的に途絶えることになります。残された手段は潜水艦による機械輸送でした。
山本商会が輸入販売してきた機械は、高性能な機械として兵器製造のために使用されていました。その中でも、日本が潜水艦を利用してでも、手に入れたい機械が山本商会の取引先にありました。それはドイツのフランツ・ブラウン社製の横型射出成形機イゾマです。戦渦の1943 年にイゾマ機は、山本商会を仲介し、潜水艦によって日本に輸送された記録が残っています。
引用資料 「30年の歩み―積水化学工業株式会社」
~ ドイツのパルスレーダ技術移管のために輸送されたイゾマ機 ~
今日、気象観測や自動車の自動運転で不可欠なレーダ技術は、軍事利用のために生まれ、発展してきました。第2 次世界大戦では、電波を発射し、反射波を利用し飛行機や船の方向と距離を探知するレーダ技術が軍需用に利用され始めていました。日本は、パルスレーダの技術で先行するドイツから、レーダの技術を学びました。優れた高周波特性が必要なレーダ部品を製造するには、プラスチック射出成形機が必要でしたが、当時日本にはそのような機械は存在しませんでした。
戦渦の1943年にドイツのフランツ・ブラウン社製の射出成形機イゾマ機と金型は、潜水艦で日本に輸送されました。射出成形機は、プラスチック原料を加熱して、溶解し、金型に流し込みます。金型内で冷めることで、固形化したプラスチックが完成します。イゾマ機の成形サイクルは8個取りで20秒、1時間あたり1,440個の成形をする能力がありました。
引用資料ご提供 佐藤 功氏